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東京地方裁判所 平成3年(特わ)426号 判決

本店所在地

東京都新宿区四谷四丁目二五番地

株式会社都市計画ホーム

(右代表者代表取締役 小柳康彦)

本籍

東京都千代田区五番町一二番地七

住居

東京都新宿区南榎町四二番地 ロイヤルガーデン南榎三〇一

会社役員

小柳康彦

昭和一九年一月九日生

右の者らに対する各法人税違反被告事件について、当裁判所は、検察官長島裕、弁護人小川眞澄(主任)、中村雅行、藤田太郎各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人株式会社都市計画ホームを罰金一億円に、被告人小柳康彦を懲役一年六月に処する。

被告人小柳康彦に対し、未決勾留日数中三〇日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人株式会社都市計画ホーム(以下「被告会社」という)は、東京都新宿区四谷四丁目二五番地(昭和六一年四月二一日以前は同都文京区白山一丁目三一番一号)に本店を置き、不動産の売買及びその仲介等を目的とする資本金七〇〇〇万円(平成二年六月二二日以前は三〇〇〇万円、昭和六一年一二月二七日以前は一〇〇〇万円)の株式会社であり、被告人小柳康彦(以下「被告人」という)は、被告会社の代表取締役として、被告会社の業務全般を統括していたものであるが、被告人は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上等の収入の一部を除外し、外注費を過大に計上するなどの方法により所得を秘匿した上、昭和六一年四月一日から昭和六二年三月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が九億五六四一万五三六五円(別紙1修正損益計算書参照)、課税土地譲渡利益金額が一億三六二九万五〇〇〇円(別紙2ほ脱税額計算書参照)であったにもかかわらず、昭和六二年六月一日、同都新宿区三栄町二四番地所在の所轄四谷税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が四七九六万一六九五円、課税土地譲渡利益金額が一七六九万六〇〇〇円で、これに対する法人税額が二三二〇万五六〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、被告会社の右事業年度における正規の法人税額四億四〇二八万六〇〇〇円と右申告税額との差額四億一七〇八万〇四〇〇円(別紙2ほ脱税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

一  第一回、第六回、第九回、第一〇回及び第一四回各公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官に対する供述調書(一二通)

一  第五回公判調書中の証人船橋弘及び伊藤茂一の各供述部分

一  宇佐見良昭、松本弘、三條直義(一一通)及び成瀬孝(六通)の検察官に対する各供述調書

一  大蔵事務官作成の完成売上高調査書、分配金収入調査書、受取手数料調査書、完成売上原価調査書、外注費調査書、給料手当調査書、旅費交通費調査書、交際費調査書、賃借料調査書、消耗品費調査書、租税公課調査書、支払手数料調査書、車両費調査書、雑費調査書、受取利息調査書、受取家賃調査書、有価証券売買益調査書、雑収入調査書、支払利息調査書、交際費限度超過額調査書、役員賞与損金不算入額調査書、土地の譲渡等に係る譲渡利益金額調査書、領置てん末書及び報告書(平成六年五月二日付け)

一  検察事務官作成の報告書

一  登記官作成の登記簿謄本(二通)及び閉鎖登記簿謄本(六通)

一  押収してある確定申告書一袋(平成三年押第三一六号の5)

(法令の適用)

一  罰条

1  被告会社について 法人税法一六四条一項、一五九条一項

(罰金刑の寡額は、刑法六条、一〇条により、軽い行為時法である平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による)、二項(情状による)

2  被告人について 法人税法一五九条一項(罰金刑の寡額については、前同)

二  刑種の選択

被告人について 懲役刑

三  未決勾留日数の算入

被告人について 刑法二一条

(争点に対する判断)

以下の記述では、便宜上、「公判調書中の供述部分」についても「公判廷における供述」と表示する。

一  本件の主要な争点

弁護人は、(1)株式会社三條(以下(株)三條」という)が東京都新宿区西新宿四丁目三七二番一八ないし二一、同三七三番四所在の土地及びその地上建物(以下「西新宿物件」という)を株式会社朋友(以下「朋友」という)へ売却した際、被告会社が架空の売買当事者(ダミー会社)として介在し、(株)三條の売上除外に協力したことの報酬として得た分配金収入は、検察官主張の金額(二億二二二二万円)よりも五〇〇〇万円少なく、(2)被告会社が同都目黒区碑文谷二丁目七番八所在の借地権付建物(以下「碑文谷物件」という)を三和都市開発株式会社(以下「三和都市開発」という)へ売却した際の売掛金六五〇〇万円のうち一五〇〇万円については、本事業年度中に債務免除がなされたこと(以下「本件債務免除」という)により完成売上高から控除されるべきであるから、(1)、(2)の合計六五〇〇万円を被告会社の所得金額から減額すべきである旨主張し、被告人も公判廷において、右主張に概ね沿う供述をしているので、この点につき判断する。

二  西新宿物件に関する分配金収入について

1  関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告人は、昭和六〇年ころから地上げの手伝いなどを始めたが、同年一〇月ころ、大きな物件の地上げ、転売を行っていた(株)三條を経営する三條直義(以下「三條」という)と知り合い、厳しい姿勢で仕事をする三條に畏敬の念を抱き、同社に出入りするようになった。そして、被告人は、三條の資金的援助を受け、昭和六一年二月被告会社を設立した。被告会社は、(株)三條の地上げを代行するとともに、その脱税工作に協力して同社が行う不動産取引に架空の仲介人として介在し、いったん受け取った架空の仲介手数料の中から同社に戻した残りを報酬として取得するなどしており、被告会社の設立はもとより、その存続も(株)三條に全面的に依存する状態であった。

(二) (株)三條は、昭和六一年九月から同年一二月にかけて、地上げした西新宿物件を朋友に転売するにあたり、被告会社ほか数社をダミー会社として介在させ、売上の一部を除外して利益を圧縮した。

(三) 被告人は、それ以前の同年八月中旬ころ、三條から「西新宿物件を朋友に転売する際に被告会社をダミーとして介在させ、表向き被告会社に帰属した転売益の半分を(株)三條へ戻してもらう(以下、この戻す約束の金員を「バック金」という)が、残りの半分は被告会社に取得させてやる」と言われ、これを承諾した。そのころ、被告人は、表向き被告会社に帰属する転売益は約六億円で、バック金として約半分の三億円を(株)三條に戻さなければならないことを、三條から聞いて知った。

(四) 結局、西新宿物件の売買取引に絡み、被告会社には最終的に六億円余の転売益が帰属した形となり、これらは第一相互銀行若松町支店(以下「第一相銀」という)の被告会社名義の普通預金口座(以下「本件預金口座」という)に入金された。

(五) 被告人は、〈1〉同年一二月一五日、〈2〉昭和六二年一月三一日の二回にわたって(株)三條に現金を持参し、これを三條に渡した。なお、〈1〉は西新宿物件のバック金であり、〈2〉で渡した現金は、被告会社が昭和六一年一二月一八日右(四)の六億円余の中から第一相銀に預金した一億四〇〇〇万円の仮名通知預金(六口)のうち、五〇〇〇万円(二口分)を〈2〉の当日解約したものである。

2  ところで、被告会社に帰属する西新宿物件についての分配金収入は、表向き被告会社に帰属した転売益からバック金や必要経費等を控除して算出されるものであるところ、検察官は、「〈1〉のバック金は二億五〇〇〇万円であり、〈2〉で渡した現金はバック金とは認められない。いずれにしても、西新宿物件のバック金が三億円を超えることはない」旨主張する。これに対し、弁護人は、「〈1〉〈2〉ともに西新宿物件のバック金であり、〈1〉で渡した現金は三億円である。したがって、西新宿物件のバック金は合計三億五〇〇〇万円であるから、検察官主張の被告会社の分配金収入から、更に五〇〇〇万円を減額すべきである」旨主張する(なお、〈1〉が西新宿物件のバック金であること、〈2〉で渡した現金が五〇〇〇万円であることは、関係証拠上明らかであるし、当事者間にも争いがない)。

3  まず、〈1〉のバック金が二億五〇〇〇万円であったのか、三億円であったのかについて判断する。

この点について、被告人は、平成三年三月一日付け検察官調書において、「国税査察官の質問調査及び逮捕前の検察官の取調べにおいて、『〈1〉でバックした金額は二億五〇〇〇万円である。この時点で約束の三億円を届けなかったのは、第一相銀の伊藤支店長辺りに懇願されて、転売益六億円の中から通知預金をして手元に余り金が残らなかったので、五〇〇〇万円程手元に残しておきたかったからで、三條に断ってこの日は二億五〇〇〇万円で勘弁してもらった。手元に残した五〇〇〇万円は、被告会社の関連会社代表者らに貸し付けたり、自分自身で使った。その後の昭和六二年一月三一日、三條に五〇〇〇万円を届けて合計三億円をバックした』などと供述していた(以下「従前供述」という)が、〈1〉でバックした金額は三億円で、昭和六二年一月にも五〇〇〇万円をバックし、合計三億五〇〇〇万円をバックしたように思う。もし、三條が〈1〉の受取額は二億五〇〇〇万円であると言っているなら、あるいはそうだったかもしれない」旨供述する。一方、三條は、平成三年三月二日付け及び同月一〇日付け各検察官調書において、「〈1〉で受け取ったバック金は二億五〇〇〇万円である。この現金は、しばらく社長室の押入れに隠しておき、後日、仮名預金にするなどしてプールしたと思う」旨供述する。

そこで検討するに、(a)被告人の従前供述では、〈1〉の日(昭和六一年一二月一五日)に二億五〇〇〇万円しか届けなかったのは、それ以前に前記六億円の中から通知預金をして手元に余り金が残らなかったからであるとされているが、大蔵事務官作成の分配金収入調査書等の関係証拠によれば、右六億円の中から通知預金がなされたのは、第一相銀に仮名通知預金六口が設定された同月一八日と認められるから、右供述は客観的事実と矛盾している上、手元に残した五〇〇〇万円を関連会社代表者らに貸し付けたという証拠もない。(b)被告人は公判廷において、「三條社長に見限られると被告会社の経営の成りゆかないという状態の時期でもありましたし、三條社長との約束は絶対守らなければいけないという私の使命もありましたし、二億五〇〇〇万円にしてくれというのは私の口から言えることではありませんでした」旨供述しているところ、前記二のとおり、西新宿物件に関するバック金は三億円と決められていたのであって、被告会社の経営が(株)三條に依存していた状況下で、仕事には厳しい姿勢で臨む三條を畏敬し、その性格を知悉していた被告人が、三條との約束に反して二億五〇〇〇万円しか届けなかったということは考え難く、被告人の右公判供述には信憑性があるといえる。仮に、被告人が〈1〉で二億五〇〇〇万円しか持参しなかったとすれば、三條がその理由を問い質すなどのやりとりがあって然るべきところ、三條は前記各検察官調書において、「単に〈1〉のバック金は二億五〇〇〇万円であった」旨供述するのみで、右のようなやりとりの存在を窺わせる供述はしていない(なお、三條は、(株)三條の脱税額を減ずる後記罪証隠滅工作の一環として、〈1〉のバック金は二億五〇〇〇万円である旨供述している可能性が高い)。(c)そして、被告人は公判廷において、「〈1〉のバック金は二億五〇〇〇万円である旨の従前供述をしたのは、三條からそう話すように指示されたからである」旨供述しているところ、三條も前記三月一〇日付け検察官調書において、三條が受領した西新宿物件のバック金の合計は三億円であることを前提とした上ではあるが、「今回の査察が入った当初は、私は脱税額を何とか一〇億円以下にしたいと思い、被告人を初め皆にかぶってくれということを言ったこともあった」旨、(株)三條の脱税額を減ずるための罪証隠滅工作をしたことを認めている。そうすると、被告人の従前供述は、三條が法人税法違反で逮捕される以前に三條の右指示に基づいてなされたものである可能性が極めて高いのに対し、三條が逮捕された後である平成三年三月一日になされた被告人の検察官調書における供述は、三條の重圧を免れて真実を供述したと考えられる。(d)加えて、当時、第一相銀支店長であった証人伊藤茂一は、「〈1〉の日に被告会社に届けた三億円について、事前にその使途を電話確認したときも現金を届けたときも、被告人は三條に持っていく分だと言っていた」旨供述している。

以上の(a)ないし(d)の各事実を総合すると、〈1〉のバック金は、弁護人主張のとおり三億円であったと認められる。

4  次に、〈2〉の五〇〇〇万円は西新宿物件のバック金といえるかという点について判断する。

(a)〈2〉の五〇〇〇万円の原資は、前記二のとおり、本件預金口座に入金された西新宿物件の転売益六億円余の中から、被告会社が第一相銀にした一億四〇〇〇万円の仮名通知預金のうちの五〇〇〇万円である。(b)そして、被告人は、捜査公判を通じ、「昭和六二年一月、三條から『たまには小遣いでも持ってこい』と言われ、西新宿物件に関する儲けの中からバック金として五〇〇〇万円を届けた」と供述している(もっとも、被告人は公判廷において、「〈2〉の五〇〇〇万円は三條の小遣いという意味合いで渡した」などと、これがバック金とは異なる性格のものであるともとれる供述をするが、他方、「三條には小遣いという名目で渡したが、うちはバック金という扱いをした」とも供述していることや前記のような被告人と三條との力関係からすると、被告人が〈2〉の五〇〇〇万円にバック金の性格がないことを自認しているとみるのは相当でない)。(c)一方、三條も、前記各検察官調書において、受取時期を昭和六二年二月一二日ころとしているものの、「〈1〉の日とは別に現金で五〇〇〇万円をバックしてもらった」旨供述している。

以上(a)ないし(c)の各事実を総合すると、〈2〉の五〇〇〇万円も西新宿物件のバック金であると認められる。もっとも、右3でみたように〈1〉のバック金は三億円であったと認められるから、〈2〉の五〇〇〇万円もバック金だとすると、被告会社は当初の約束である三億円以上を(株)三條に戻したことになるが、関係証拠によれば、西新宿物件の取引に絡んで被告会社が得た利益は、それまで(株)三條の行う取引に架空の仲介人として介在したことによって得た利益に比して極めて多額であること、被告会社は、その前後にも(株)三條に対し、被告会社に表向き帰属した利益の半分以上を戻したことがあることが認められる。以上の事実のほか、前記のような被告人と三條との力関係に照らすと、被告会社が西新宿物件について、当初の約束である三億円を超えてバック金を交付したとしても何ら不自然ではない。

5  以上によれば、被告会社から(株)三條への西新宿物件に関するバック金は合計三億五〇〇〇万円であり、検察官の主張よりも五〇〇〇万円増額すべきものと認められるから、この金額は被告会社の分配金収入から減額されるべきである。

三  碑文谷物件に関する本件債務免除について

1  関係証拠によれば、被告会社は、昭和六一年一〇月二四日、碑文谷物件を三和都市開発に代金三億三〇五〇万円で転売し、右転売代金について、〈1〉同年一二月二日までに二回にわたって合計二億六五五〇万円、〈2〉昭和六二年五月一五日ころに五〇〇〇万円のそれぞれ支払を受けたことが認められるところ、被告人及び三和都市開発の代表者船橋弘は、公判廷において、「昭和六二年一月ころ、被告人と船橋との間で、碑文谷物件の残金六五〇〇万円のうち一五〇〇万円を免除して五〇〇〇万円とすることで合意し、〈2〉の五〇〇〇万円が支払われた」旨、同一内容の供述をする。

2  そこで、更に関係証拠を検討すると、(a)被告人は捜査段階において、西新宿物件のバック金については合計三億五〇〇〇万円である旨の供述をしているのに対し、碑文谷物件については代金三億三〇五〇万円で転売した旨供述し、本件債務免除について全く供述していないばかりか、その供述からは転売代金の一部免除を窺わせるような事情も認められない。(b)証人船橋は、本件債務免除がなされた理由について、「三和都市開発が碑文谷物件の地主(底地の所有者)に支払う名義変更料・建築承諾料が、当初見込んでいた一〇〇〇万円よりもかなり増額されたので、その分被告会社に対する支払を免除してもらった」旨供述するが、検察事務官作成の報告書によれば、三和都市開発において、右名義変更料等の合計三三七五万円が計上され、そのうち一五〇〇万円の手付金が地主に支払われたのは昭和六二年一二月になってからであると認められるから、船橋の右供述は、右のような状況と整合しない。(c)被告人は、平成三年三月五日付け検察官調書において、「船橋という男はヤクザがかった煮ても焼いてもくえないような男で、信用できないところもあったので、碑文谷物件を三和都市開発と共同販売するのをやめた。船橋は、碑文谷物件の残金六五〇〇万円を難癖を付けて支払ってくれなかった」旨供述し、公判廷ではこれに加え、「船橋社長を全く信じていなかったので、船橋から碑文谷物件の関係で支払う名義変更料等が増えたという話が出たときも、また船橋の性格が出たなという気持ちで聞いた。地主の証明を持ってくれば、増額分の一部を被告会社の方で持つと答えたが、結局、その証明は持ってこなかった」旨供述する。右の各供述によると、被告人は船橋を信用しておらず、右名義変更料等の増額の話も信用していなかったこと、船橋は碑文谷物件の残金六五〇〇万円の支払いについて不誠実な態度を執り続けていたことが認められる。以上の事実に照らすと、昭和六二年一月ころ、船橋から右名義変更料等が増額になったので碑文谷物件の残金の一部を免除してほしいとの話があったからといって、被告人が、その性格に不信の念を抱いていた上、右名義変更料等が増額になったという地主の証明も持参せず、右残金の支払にも難癖をつけていた船橋との間で、本件債務免除をしたとは到底認められず、仮に本件債務免除が行われたとしても、その時期は、右残金のうち五〇〇〇万円が現実に支払われるという具体的な動きのあった同年五月以降のことであったと考えられる。(d)なお、弁護人は、〈2〉の五〇〇〇万円が支払われた際に被告会社が交付した領収証(その写しが前記報告書に添付されている)の但書欄に残金が一五〇〇万円ではなく一九〇万円と記載されているのは、昭和六二年一月に本件債務免除がなされていることを示すものであるとも主張するが、証人船橋が「右但書欄の残金一九〇万円という記載は、別の物件の地代を三和都市開発が預かっていることを示すもので、碑文谷物件とは関係のない記載である」旨供述していることに照らすと、右但書欄の記載を本件債務免除がなされたことの客観的裏付けとすることはできない。

以上の(a)ないし(d)の各事実を総合すれば、昭和六二年一月の段階では勿論のこと、少なくとも本事業年度中である同年三月三一日までに本件債務免除が行われていないことは明らかであって、この点に関する被告人及び船橋の各供述は信用できず、弁護人の主張は理由がない。

四  その他の争点

藤田弁護人は、被告人は(株)三條のために被告会社として脱税をしたもので、その実体は(株)三條の脱税の幇助犯であるから、被告人は(株)三條の「その他の従業者」(法人税法一五九条一項)として、同社の脱税について刑事責任を問われるにすぎず、本件については無罪である旨主張する。

関係証拠によれば、被告会社の代表者であった被告人は、(株)三條が行う不動産取引に被告会社をダミー会社として介在させるなどして、(株)三條の不動産転売利益の圧縮に協力していたことが認められ、(株)三條の法人税法違反について被告人が刑事責任を問われる余地があったといわなければならない。しかしながら、本件は、被告会社代表者の被告人が、被告会社が不動産を転売したり右のような(株)三條の脱税工作に協力したことによって得た利益を除外するなどして、被告会社の所得を少なく見せかけ、その法人税を脱税したというものであって、(株)三條の脱税とは両立し得る別個の事実であることが明らかであるから、弁護人の右主張は理由がない。

その他、藤田弁護人が独自に種々主張するところも、主張自体失当であるか、関係証拠に照らして理由のないことが明らかである。

(量刑の理由)

本件は、不動産売買及びその仲介等を行っていた被告会社の代表者であった被告人が、売上の一部(碑文谷物件の売上)や(株)三條の脱税工作に協力したことによる分配金収入を除外し、外注費を過大に計上するなどの方法により被告会社の所得を九億円余少なく見せかけ、単事業年度ながら四億一〇〇〇万円余の法人税を脱税したという事案であるが、脱税額は最近の法人税法違反事件の中でも高額な部類に属する上、ほ脱率も約九四・七パーセントと高率である。被告人は、被告会社の事業拡大を企図して本件犯行に及んだものであるが、脱税の動機としては格別酌量すべき事情とはならない。被告会社は、(株)三條が行う大規模な不動産取引に被告会社(その関連会社を含む)がダミーとして介在することによって、(株)三條の脱税工作に協力して利益(分配金)を得ていたものであるが、被告人は、このような利益をすべて秘匿することを企図し、自らも架空の領収証を準備するなどした上、被告会社の経理担当者に対し、同会社の利益を五〇〇〇万円位に圧縮した決算報告書を作成するよう指示し、本件犯行に及んでいる。このような被告人の行動をみると、その納税意識は低く、犯行の態様も悪質であるといわざるを得ない。加えて、本件に関連して、(株)三條及びその代表者三條も法人税約三七億円を脱税したことによる刑事責任を問われているところ、本件犯行は、右脱税事犯を助長するという面も有していたものである。

以上によれば、被告人及び被告会社の刑事責任は重いというべきであって、本件当時、被告会社の存続は全面的に(株)三條に依存しており、被告人も三條に生殺与奪の権を握られていたと認められること、被告会社は本件起訴以前に本事業年度の本税全額及び附帯税の一部を納付している上、未納付であった附帯税一億四〇〇〇万円余も、いったん弁論を終結した後の平成六年三月、国税当局によって差し押さえられていた被告会社所有の物件が売却されたことにより徴収されていること、被告人は、捜査公判を通じてその刑事責任を認め、反省の情を示していること、本件が広く報道されたことにより、被告人は相当な社会的制裁を受けている上、多額の負債を抱えて被告会社の事業も立ち行かなくなっていること、被告人には昭和五〇年覚せい剤取締法違反により懲役二年に処せられて服役した前科のほか、罰金刑に処せられた前科二犯があるものの、それ以後一五年余の間に前科はないこと、社会福祉関係事業にも深い関心を示してきたこと、妻と小学生の長男、長女を扶養する必要があること、保釈後、心筋梗塞の発作で入退院を繰り返しており、健康状態が思わしくないことなど被告人及び被告会社のために酌むべき事情を十分斟酌しても、被告人及び被告会社に対する主文の量刑はやむを得ないところである。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 被告会社・罰金一億五〇〇〇万円、被告人・懲役二年六月)

(裁判所裁判官 安廣文夫 裁判官 中里智美 裁判官 野口佳子)

別紙1 修正損益計算書

〈省略〉

〈省略〉

別紙2 ほ脱税額計算書

〈省略〉

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